富士吉田火祭りロードレース
洞爺湖マラソン
行田市鉄剣マラソン
板橋シティマラソンは練習不足が露呈した訳だけど、足の不安がほぼなくなったという点ではよかった。
2週間後の4月5日。埼玉県の行田市鉄剣マラソンに参加。このハーフマラソン大会は安いのに参加賞で大きなタオルがもらえる点が気に入って毎年参加している。田舎の水路沿いや古墳のある公園の中を走る風光明媚なコースで、桜や菜の花も咲いていて飽きさせない。
ことしは残念ながら雨。かつては、50レースくらい連続で雨が降らなかったこともあるのに、今年になって赤羽、静岡に続く雨となってしまった。
2ヶ月間休んでしまったので、記録は意識せずに行くことにする。あわよくばキロ4分半くらいでいければ、くらいの気持ち。
今年は少し後方でスタート。といっても小さい大会なので10数秒でスタート地点へ。1kmを過ぎると走りやすくなり、ペースは4分15秒前後。5kmを21分15秒くらいで通過する。このペースでいければ90分で走れる計算。
当然そんなペースでは走れず、5kmでオーバーペースを痛感する。ペースを落とすことにする。前方に髪の長い女子が走っていたので、この人を目標にする。追いついてみると、マラソン完走クラブの知り合いだった。僕もつらかったが、彼女はさらにきつそうだった。息づかいが荒くなっている。
少し話をして、前に出る。とは言え、ペースは落ちていく。4分40秒くらいに落ちるのだけど、ときどき、4分10秒などになってしまう。距離表示が正しくないようである。
苦しいのだけど、ちょっといいラップが出ると不思議と元気が出てくる。19kmから20kmの1kmは3分台になってしまった。間違いなくそんなペースで走っていないのだが、予想より早く残り1キロとなってこともありスパート。
1時間32分21秒。去年より8秒速かった。しかしこの大会、叩かれている横浜マラソン以上に距離を詐称しているみたいで、実際には数百メートルは足りないとの噂もある。
雨はさらに強くなっていたので、更衣室で着替える。アンクルガード(かかとを固定するサポーター)を脱ごうとして力を入れたとき、右足のふくらはぎの下の部分が攣ってしまった。いつもはふくらはぎなので、この場所が攣ることは珍しい。見ると、この部分の筋肉が薄く真っ平らになっている。必死になって伸ばすと、今度は脛が痛い。脛を伸ばすとふくらはぎが攣るので、脛は痛くても我慢するしかない。背に腹はかえられぬ。
永遠とも思える時間、右足の痛みと格闘していると、今度は左足のふくらはぎに痛みが襲う。左はふくらはぎの上の方の太くなっている部分。筋肉がぼこぼこに変形している。今にもエイリアンが生まれてくるんじゃないかと思えてくる。
あまりの痛さに声を上げる。こういうとき、慣れた人が助けてくれることもあるんだけど、この日は「大丈夫ですか?」「攣るまでがんばると達成感ありますよね」とか声をかけてくれる人はいるけど、助けてくれる人はいなかった。
手荷物で預けた食べ物を全て食べる。芍薬甘草湯を持ってきていなかったことを公開する。ポカリスエットやアミノ酸を飲むが、痙攣は収まらない。姿勢を変えようとすると腹筋までが攣りそうになる。腹筋も攣ると極めて痛いので足は諦めても腹を守る。足に腹はかえられないのだ。
やっと動けるようになって更衣室を出るまで30分かかった。
本当に痛かった。
板橋シティマラソン
3月1日に静岡でシーズン2度目の途中棄権をしてしまった訳ですが、3月22日は板橋シティマラソンに参加しました。競馬で言えば中2週。順調に行っていれば問題のない間隔ですが、惨敗の後となると立て直しは難しい間隔だと思います。
静岡で痛めた足をさらに痛めたこともあり、翌週はゆっくりで慎重に20km。その翌週は少し回復してきたこともあり、ペースを上げて22.5kmを走りました。ただ、どちらの週も30kmが目標だったのですが、20kmに近づくに連れて足が痛み出し、途中でやめてしまいました。怪我をしていると、「無理をしなくてもいいんじゃない」と、どうしても自分に甘くなります。
平日も走ろうという気持ちがどうしても消極的になります。3月にもなるとだいぶ暖かくなって、夜でも走りやすいのですが、ちょっと痛いからやめとこう、みたいな気持ちになってしまいます(以上、言い訳)。
そんな中で迎えた板橋シティマラソン当日。静岡ではついつい速いペースになって棄権してしまったので、前半はキロ5分10秒で行くことにしました。前半5分10秒ならば、後半ペースアップすればぎりぎり3時間半を切れるだろう、という計算があります。
でも、レースが始まってみると、結局4分50秒くらいでスタートしてしまいます。レースの独特の雰囲気に飲まれてしまうのです。それでも静岡のときよりはペースも遅いのでいいや、と思うようになり、そのペースを維持します。
静岡で棄権した地点である10kmを過ぎてまだ疲れていないことを確認し、とりあえず一安心。15kmまではそのまま行きます。15kmでマラソン完走クラブの知り合いが後ろから二人やってきて合流します。ここで話をしているうちについペースが上がってしまいます。
折り返しを過ぎて、25kmまでは3人でかたまって走ります。25kmでひとり脱落。もう一人の後ろについていきます。
29km。急に足がきつくなってきてペースダウン。このとき初めて気づいたのですが、ここ2ヶ月間の間、30km以上走ったことは1回もなかったのです。練習不足が響いたことは疑う余地もありません。走ったり歩いたりしながらなんとか35kmの給食地点までたどり着きます。この時点で3時間。3時間半の目標はほぼ圏外になります。
35kmの給食は板橋シティマラソン名物のシャーベット。慎重にオレンジを選びます。1キロ弱を歩きながらゆっくりと完食。すると目の前には次の給食コーナーが。そこでもチョコレートを食べてかなり元気になります。
さあそろそろ走るかな、と一歩目を踏み込んだ瞬間。ふくらはぎが完全に攣りました。普通は攣りそうになるとちょっと力を抜いて、攣る直前で止められることもあるのですが、今回は油断していたせいか、全く動けなくなりました。給食コーナーのボランティアも助けてくれることはなく、痙攣が引くのをただただ待ちます。
痙攣が引いても、歩くのが精一杯で走り始めることはできません。それでも36kmを過ぎていたし、救護のバスもいないので、棄権の2文字が頭をよぎることはありませんでした。
その後も1キロ17分くらいかけて這うように歩を進めます。ちょっとでも走ると痙攣が襲ってくるし、歩いているだけでも攣りそうでした。Sさんが後ろから来て、「攣ったの?僕も同じような感じ」と言いながら走って去っていきました。「いや、走れるだけ須藤さんの方がましですよ」と返事をしました。
- が、Sさんもやっぱり動けないらしくすぐ前を歩くようになっていました。僕の方も相変わらずですが、38kmを過ぎて歩くのは特に苦労せずにできるようになりました。短い距離ならば走れるようになり、攣りそうになるまで走りまだしばらく歩く、を繰り返すようになります。
走れる距離は、最初は40歩くらいだったのが100歩になり、180歩になり、徐々に走っている時間が長くなってきました。須藤さんを抜き去り、40km地点くらいから、普通に走れるようになりました。
41km当たりからはさらにペースアップしてゴール。35kmからの5kmで1時間かかったこともあり、4時間9分。残念な結果ですが、完走できたことはできたのでよかったですね。
板橋シティマラソンの翌週は久々にスピード練習。練習不足が続いていたためか、体が重く心配でしたが、とりあえず最後まで耐えます。400mを8本のシンプルな練習。だんだんと調子を上げて最後に76秒でベストタイムでした。
その翌週は行田市鉄剣マラソンへ(つづく)。
静岡マラソン
静岡マラソンに行ってきました。
赤羽ハーフマラソンで左足を痛めて以来、足の調子が今ひとつだけど、せっかく申し込んだので行けるところまで行ってみようと、参加することにした。
赤羽ハーフが2月8日。11日にインターバルの練習会があったけれど、あまりの痛さでジョギングのみ。15日は砧公園で芝生走に参加。芝生のおかげで足の負担が小さく、ペースもゆっくりだったため、3時間を走り抜く。翌週の東京マラソンは外れたので駒沢公園でペース走に挑戦。8キロくらい走ったところで給水を摂ったところ、給水後にランニングを再開すると急に痛みが出てきて中止。結局10キロくらいしか走れず。
満足な練習ができないまま本番に突入。しかも、天気予報は雨。
早朝のため駅まで行くバスもなく、テンションは上がらず。新幹線で行くと、静岡まではあっという間。落ち着く間もなく会場に到着する。
先週のランスマでサブフォーの走り方というのをやっていた。金哲彦が周りのランナーを引き連れて4時間で走るという番組だった。それくらいならいけるかもしれない。そこでサブフォーのペース、キロ5分半を目指すことにする。
が、いざ走り出すと、最初の1キロこそ5分17秒とまあまあ予定どおりのペース。でも、いつのまにか速くなっている。次の1キロはほぼ5分。その次は5分を切る。ゆっくり走っているつもりなのに、キロ4分40秒程度までペースアップしてしまう。
こうなると、もしかすると調子いいんじゃない?、と勘違いが始まる。近くにいた美しいフォームで走るランシャツランパンの女子を見つけ、少し遠目についていく。周りのランナーをどんどんと抜いていく。
5kmを24'27"、次の5kmは23'54"だった。今振り返ればオーバーペースだったということになるけど、走っている間はそんなことは全く考えなかった。このまま最後まで行けるような気持ちになっていた。
10kmを過ぎると足に違和感が現れる。最初は小さな違和感にすぎなかった何かは、少しずつ形を変えて痛みに変わっていくのが感じられる。痛みの大きさに合わせて、不安も膨らんでいく。
静岡は10キロでスタート地点である駿府城に戻ってくる。11kmの標識で立ち止まる。ペースを落として走るのか、それとも途中棄権するか。屋根のあるところを見つけてしばらく悩む。結局、ゆっくりでも完走しようと考えた。そろそろと走り始める。でも、雨の中で体が冷えたせいか、痛みは立ち止まる前よりも大きくなっている。50mも行かないうちに、ストップ。棄権する。
まだ静岡駅から離れていなかったので、雨の中静岡駅まで歩く。荷物は清水駅までトラックで運ばれる。電車に乗って清水まで行く。棄権する可能性はある程度想定できたので、1000円札を持ってきていた。
電車で行くと、先頭ランナーより先にゴールに到着。チップを返却しに参加賞引換所に行くと、ボランティアの盛大な拍手に迎えられる。「お疲れ様でした〜」の声も聞こえる。この上なく恥ずかしい。まだ先頭ランナーは39km地点だって実況が聞こえるじゃないですか。まだ増田明美さんが解説してるじゃないですか。
体力的には余裕があるのに、棄権せざるを得ないのはつらい。最初の予定どおり5分半のペースで走っていれば、あるいはゴールできたかもしれない。きちんと設定したペースで走る「我慢する力」が足りないのかもしれない。高い参加費と交通費を無駄にしてしまった自責の念が押し寄せる。
翌日、整形外科へ行くと、医者から「びわ湖出たの?」と聞かれた。出られる訳がない。説明をすると、びわ湖はエリートランナーしか出られないことは理解してくれた。「そうなんだ。びわ湖はエリートレースなんだね。別府とかもそうなの?」別府には出たことがあること告げると、「別府は誰でも出れるの?」と言われた。面倒なので否定するのはやめた。
レントゲンも撮られたが、特に悪いところはないとのこと。診断は、大腿二頭筋断裂。ただ、怪我をしてから時間が経っているのでインテンシブな治療はありません、とのことだった。「インテンシブな治療」というのは、整形外科に通う一般市民には通じるのだろうか。僕はよく分からなかった。ともあれ、走るなとも言われなかったので、それほど大したことはないのだろう。
2012年の館山若潮マラソンでやはりハムストリングを怪我して、3年間は大きな怪我をせずにやってきた。僕はずっとフォームが小さいと言われてきたけれど、怪我をしなかったのは、この小さいフォームのおかげだったのではないかと思う。ダイナミックに腕を振り、ストライドを大きくすれば、それだけ一歩一歩の足への負担が大きくなる。ストライドが小さければ逆に負担が小さくなるのだ。だからこそ、レースを走っても筋肉痛はあまり出ず、毎週レースに出ても平気だったと考えれば符合する。
先日の練習会でコーチから、もっとピッチ走法で走ることを心がけましょう、と言われた。しかし、普通に走ってもピッチ走法の僕は、それ以上ピッチを速くすることはできなかった。ピッチ走法は足への負担が小さい反面、心臓への負担は大きい、というのが僕の仮説である。いつも足より先に心臓が悲鳴を上げて息が切れてしまう。コーチと話をすると、足は心臓へのポンプの役割をしているので、もしかするとそういうこともあるのかもしれない、と言っていた。
そこで、逆にピッチではなくストライド走法を心がけるようにした。インターバルでは他の人より一歩を踏み込む。トラックを蹴り、流れを掴むように意識する。ペース走ではなくスピード練習を主体にする。そんな練習をしてハーフマラソンに挑んだ。予想以上のスピードで走れたものの、足の方は予想外のスピードについていけずに断裂したというのが今の状態ではあるまいか。
1キロ以下のダッシュばかり繰り返して、いきなりハーフマラソンで結果を出そうとするのは、あるいはむしが良すぎたのかもしれない。少しずつ距離を伸ばしながら、あるいはペース走のスピードを少しずつ上げていきながら、適正なペースを探るべきだったのではないか。スピード練習とスタミナ練習のバランスの欠如がこのような事態を招くことを、もっと自認すべきだったのではないか。
そんなことを考えさせられた。ひと月を無駄にして、またスタート地点に戻ってしまったが、僕は経験からしか学べないのだ。
赤羽マラソン
長いこと公認のハーフマラソンに出ていないなあ、ということで赤羽マラソンに行ってきました。最近はインターバルをこなせていたので、もしかしたら良い記録が出るかも、と欲が出ます。天気は雨予報でしたが、ゴールするまではぽつぽつという感じでそれほど気になりませんでした。天気はもってくれましたが、足はもってくれませんでした。
スタート直後は積極的に飛ばす。キロ当たり4分一桁の前半くらい。少し落ちてきたところで、オレンジのシャツの長身の選手の後ろに付いてペースアップする。飛ばし過ぎのためか、ペースを維持するのが精一杯。
最初の失速は折り返しの手前、9キロ過ぎの大きな坂。河川敷にも関わらず、上流には大きな坂がある。頑張って登ろうとするが、後ろから来る選手に次々と抜かれていく。上りが終わってもペースは落ちたまま。1キロのラップが4分半を超える。
10kmの通過は40'59"で、自己ベストを更新。
折り返し後の下り坂で少し休むことができ、再びペースを取り戻す。15kmまでは順調だった。17kmくらいから左足のハムストリングに鈍い痛みが走る。攣りそうな感じではないが、このまま力を入れ続けると筋肉がちぎれるんではないか、という種類の痛み。ハムストリングは一度怪我したことがあり、完治までに長引いたので、無理はできない。
18kmを過ぎて、ペースを意識的に落とすことにする。19kmで、もしかすると良くなるかもしれないと思い、一度立ち止まり、腿をストレッチする。でも全然だめだった。
失速が大きくなる。棄権も考える。とはいえ歩いてでもゴールだけはしておかないと、助けは来ない。雨が強くなりそうなので、さらにペースを落としても走ってゴールを目指す。キロ5分半くらい。1キロが長く感じる。寒いのに、急激に走り出したのいけなかったかもしれない。
ゴールするとともに雨脚が強くなり、会場から逃げるように退散する。寒くて、電車に乗っている間も震えが止まらなかった。
朝になってもまだ痛みが取れません。今日、明日はちょっと休もうと思います。
館山若潮マラソン
この日は勝田に行かれる人が多いのですが、館山若潮マラソンに行ってきました。