高知龍馬マラソン

「わざわざ高知で走ろう」というのがこのマラソンのキャッチフレーズだ。だからかどうかはよくわからないけれど、高知に行くのはいささか苦労した。「ぜんぶ雪のせいだ」という某社の広告が関係するのか、何十年に1回という大雪が1週間に2回も降った。10年に一度の大雪、とか100年に一度の不況とか、マスコミは騒ぎ立てるけど、これだけ重なると、そもそも基準がおかしいんじゃないの、と冷めた目で見たくなってしまう。昭和恐慌とか新円切り替えとかオイルショックとかバブル崩壊とか経験している日本にとって、リーマンショックなんて大したことないじゃないですか。毎年過去最高の出来、というボジョレーヌーボー的商業主義を感じてしまう。


それにしても、今回の雪の降り方は尋常ではなかった。東急東横線は追突、脱線し、こどもの国駅は屋根が圧し潰され、コンビニからは食料がなくなり、甲府盆地と我が家のバルコニーは雪で埋まった。そんな大雪の翌日、当然のことながら関東地方の交通機関は完全に麻痺した。東急線は止まったままだし、JR各線も止まったり遅れたりしていた。実はこんなとき、かなり信頼できるのが路線バスだ。バスだって遅れるけれど、そもそもバスは遅れることを前提に運行されているのだ。ほとんどの路線バス会社は、バスの現在地やバス停への到着予想時間を公表している。今回利用した臨港バスは、バス停ごとに、次の3本のバスが到着する予想時刻を公表している。
 
6:00に起きる。もう、眠くて眠くて仕方がない。布団の中で、Webで飛行機の運航状況を確かめる。「欠航」の文字が。JALの羽田発高知行きは1日当たり5便ある。第1便は早朝便なので、第2便を予約していた。お昼には高知に着いて、桂浜や龍馬記念館をぶらぶらしようと思っていたのだ。この日、第1便、第2便、それから夕方の第4便が早々に欠航を決めてしまった。こんな天気になったら、アメリカなら2日間、空港を閉鎖していたに違いない。この第2便、もし飛んでいたとしても、乗るのは難しかったかもしれない。午前中は京急が止まっていたのだ。京急が止まると、遠回りになる浜松町経由のモノレールしか選択肢はない。
 
元々JALマイレージバンクの特典で予約していたので、Webでの予約変更は行えない。JALのWebサイトを見ると、電話をするように書かれている。受付が始まるのを待って、携帯電話と固定電話からかけ続けるがつながる気配はない。30分ほど続けた後に、空しくなってやめた。予約の状況を見ると、飛ぶ可能性のある第3便は既に満席、第5便は空席が残っている。第5便が満席になってしまうと、電話がつながったとしても乗ることはできない。普通運賃で予約しておいても、キャンセル料420円で取り消せるとあるので、Webで予約してしまう。電話がつながったら振替の手続きをすれば大丈夫だろう。
 
30分に1回くらいサービスデスクに電話をかけるのだが、全くつながらない。風呂に入ったり、ゲームをしたりしてだらだらと過ごす。こういう堕落した生活も悪くない。むしろ、楽しい。でも、11時ごろになって、「今できることをしなければならない」と思うようになった。はっきり言って時間の無駄以外のなにものでもない電話よりも、少なくとも順番を待てば相談できる方がまだましだ。空港に行ってみよう。きっとみな同じ考え方をするせいで、空港が大混雑しているだろう。まあいい。できることをするしかない。路線バスの運行状況を調べてバス停に向かう。自宅マンションからバス停までは徒歩3分くらい。そんな短い距離でも、水溜りにはまって靴下までぐっしょりぬれてしまった。バスは予告通りの時刻にやってきた。チェーンを巻いて、雪の上をガタゴトと走るので、揺れ方がいつもとは全く違う。窓は全部閉まっているのだが、空調のところからひんやりとした空気の固まりが入り込んでくる。排気ガスのにおいがして快適とは言い難いが、昔、北海道をバス旅行したときの懐かしい気分が蘇ってきた。大雪が降ると自宅のごく近所で旅行気分を満喫できる。いやいや、本当に旅行に行くんだった。
 
川崎で京急線に乗り換え。京急の案内パネルには「Delayed」とだけ書かれている。Webで見ても、10分以上の遅れが出ています、という冷たいメッセージ。そこにはメッセージ性も、正確な情報を伝えようという努力も、親切心のかけらもない。ただの文字に過ぎない。プラットフォームに上がると、混雑というほどではないがそれなりに電車を待っている人がいる。空港線への直通便は取りやめているとのこと。あきらめの面持ちで待っていると、予想に反して数分で快速がやってくる。この電車もそれほど混んではいない。京急蒲田に到着すると、ちょうど反対のプラットフォームに空港線が入線してくる。この電車は京急蒲田で折り返し運転をするために少々停車していたが、ほどなく出発し、大して苦労もせずに羽田空港に到着した。家を出て1時間ちょっと。あっという間に着いちゃった。
 
羽田空港は予想どおり混雑していた。出発ロビーのある2階に上がるとすぐに予約変更の行列の最後尾のプラカードを持った女性を発見、待ち行列に加わる。どれくらい待ちますか、と聞くと、3〜4時間というそっけない答えが。そんな待ってたらフルマラソン完走できちゃうよ。でも他に選択肢はないので並ぶ。予約した便の出発時刻までは5時間あるので、時間的な不安はない。忍耐はマラソンランナーの得意とするところだ。暇つぶしはいくらでもある。
 
村上春樹の「シドニー!」を読む。シドニーオリンピックに行ったときの旅行記だ。その最初の章に「アトランタ」という短編がある。シドニーなのにアトランタというのはかなり変だが、他に載せるところがなかったのだろう。この「アトランタ」は短編小説のようなスタイルだが、アトランタオリンピックの女子マラソンで銅メダルを取った有森裕子さんにインタビューをして、有森さんの目線で書き起こした完走記になっている。トップランナーの気持ちを、プロの作家が描くという贅沢極まりない完走記である。昔読んだときはふーんくらいにしか思わなかったと思うのだが、今回、行列に並びながら涙が出てしまった。有森さんのような限界いっぱいいっぱいの走りもできないし、村上春樹の天才的な文体は死んでもまねできないが、あんな完走記が書けたらいいなと思う。
 
本を読みながら、モーツァルトのオペラ「アルバのアスカーニョ」を聴く。2時間を超える、冗長で退屈な大作で、待ち時間にはちょうど良い。「フィガロの結婚」や「魔笛」のような有名な作品と比べるとやっぱり落ちる。心が沸き立つような名曲に出会えることは少ない。でも、中にはきらりと光る曲も確かに存在する。でも、並ぶのも飽き飽きしながら、若い時代のモーツァルトを聴いて、今まで気づかなかった名曲を見つけるのは楽しい。
 
ロビーに掲示してある案内を読むと、雪のために3本ある滑走路のうち、一つしか使えないと書かれている。このため、空港全体で1時間当たり20便くらいしか飛ばすことができない。JALへの割当はその半分以下なので欠航が予想される、ということである。とすると、経営の立場からすれば、沖縄便のような単価の高い便を優先した方が、トータルで発生する払い戻し額が少なくなると考えるに違いない。事実、沖縄便や石垣島便は遅延はしても欠航にはなりにくいようだ。とすると、微妙な距離の高知行きは欠航にされてしまうかもしれない。
 
2時間ほど待って、事情を説明して振り替えの手続きを依頼する。予約は普通運賃で取ったけれど、支払いはすでに手配済みの特典航空券を使いたい。恐らくこういうケースはよくあるのだろう、てきぱきと端末を叩いて調査を進める。「ご予約の便はまだ飛ぶかどうかが決定していません。また、いつ決定するかも分かりません。お客様は予約を持っていらっしゃいますので、もし運行ということになれば間違いなくお乗りになることができます。マイルによる支払いも済んでいらっしゃいますので、追加の料金も必要ありません。ご予約の便の運行が決定しましたらスタッフにおっしゃっていただければ、手続きをいたします。荷物預けカウンターでもできますし、予約番号が分かれば端末を使ってお客様自身でも行っていただけます」とのこと。これだけの情報を淀みなく完璧な敬語で語れるのは、よほど訓練が行き届いているのだろう。
 
予約した便の出発予定時刻は18:55。説明を聞き終わったのがだいたい16:00。まだまだ時間がある。慌てて列に並んだので、トイレに行く時間もなかった。昼食も取ってないので腹が減った。トイレを済ませ、遅い昼食にする。ロイヤルホストが運営していると見られるコーヒーショップロイヤル。すっかり雪に覆われた空港を一望できる窓側のカウンターに陣取って、カツカレーとコーヒー、サラダを注文。カツカレーもコーヒーもとても美味しかった。僕はファミレスが大好きなのだ。
 
あるいは、カツカレーはカーボローディングには適さないとおっしゃるかもしれない。でも、いいのだ。食べたいものを食べる。ここのコーヒーショップは、コーヒーのおかわりも無料という。時間をつぶすには最適な場所だ。ぼーっと外を眺めていると、ときどきANAの飛行機が走っていく。離陸する様子はない。きっとここから見える滑走路は使えない方のものなのだろう。
 
何もすることなく、雪に埋まった空港を見ているというのは、実に素敵な体験だ。仮に大雪が降ったとしても、雪を見るために空港に行ってみようなんて気は起きない。熱いコーヒーを飲みながらいつまでも見ていたかった。「シドニー」の続きを読む。なぜオリンピックなどに全く興味を持たない村上春樹シドニーオリンピックに行くのか。マラソンのコースを試走したという部分はオリンピックに関連があるが、動物園や水族館に行ったり、中古レコード店に行ったり、どこかでビールを飲んだり。オリンピックの話題はほとんど出て来ない。偶然どこかの駅で降りたら聖火リレーをやっていた、という記述があるくらい。まあとにかく適当なのだ。その適当加減が面白いわけだけど、ミコノス島へ行ったときのことを書いた旅行記などに比べると、トラブルが少ないためか文章にメリハリがない。文書を読むのに飽きると、モーツァルトに耳を傾ける。長い「アルバのアスカーニョ」も終わり、違う曲が聞こえる。それも飽きるとまた外を眺めながら考え事をする。この繰り返し。
 
このまま欠航になったら、家に帰ってシングルモルト・ウィスキーを飲むのだ。そして翌日のよこはま月例に出場する。悪くないアイディアだ。いろいろなことをぼんやりと考える。月例に出るとしたら、ウィスキーはあまり飲まない方がよいだろうか。タイムはどれくらいで走ろうか(このとき、月例の会場がどうなっているかは全く知らなかった)。
 
ふと思い立って、運行状況をチェックすると、「定刻」に変わっていた。飛ぶのだ。
 
飛ぶとなればすぐに行動しないと気が済まない。のんびりしている間に状況が変わってしまうかもしれないのだ(そんなことはないでしょうが)。ホテルに電話して、遅くなるが必ず行く、と伝える。チェックインカウンターで振り替え手続きを行う。無事に手続きができ、シートを確保した。荷物を預けるときに係員にICカードを見せると、困った表情で、「お客様、2つのフライトを予約されているようですが。。。」と振り出しに戻される。また一から状況を説明する。係員は納得できないようで他の係員に相談をしにいなくなってしまった。しばらくして問題がないことが分かり、無事に荷物を預かってくれた。JALの受付カウンターには、「目を見て話してますか」というステッカーが(客には見えにくい場所に)貼られているのだが、この係員の女性は声がとても小さく、耳をうんと近づけないと何を言っているのか聞き取れない。こんな状況じゃ目を見て話すどころではない。
 
セキュリティチェックを通過し、指定されたゲートで待つ。バスで移動する必要のある86番ゲートがある1階フロアにはコーヒーショップも売店もない。自動販売機があるだけだ。殺伐としている。外は暗くなり、何時間も待たされた乗客の顔は一様に暗い(少なくともそう見える)。iPhoneの画面を見ながらにやついている(そういうメッセージが飛んできた)と、学校で授業中にこそこそと漫画を読んでいるような、不謹慎なことをしているようで恥ずかしい。そんな中、ゲート変更の放送。5A番ゲートに変更になりました、とのこと。人々は表情一つ変えず、指定されたゲートにぞろぞろと移動していく。ビートたけしの絵を見つけて嬉々として写真を撮っているのは僕くらいのものだ。5Aゲートの周辺は売店も喫茶店もある。生クリーム入りの大福を見つけて買いそうになったけれど、6個ずつしか売っていないようで、泣く泣くあきらめた(レース前に一人でそんなに食べられない)。
 
定刻になっても搭乗は始まらず、結局30分ほど遅れた(これくらいは予想の範囲内だ)。高知空港からの最終バスに乗れなくなる恐れがあるが、きっと待っていてくれるだろう。ようやくJAL1487便に乗り込む。案内時は「空席なし」だったのに、いざ乗ってみるとがらがらに空いていて、僕の隣も、その隣も空席だった(この便はコードシェア便のため、もう一方の航空会社は乗客を集められなかったようだ)。席に付くと、客室乗務員が、間違えて不吉な託宣を引き受けてしまった巫女のような表情で話しかけてきた。JALのスタッフは実に表情が豊かである。様々な種類の謝罪を眉間のしわの本数や眉毛の角度で的確に表現する。この客室乗務員は、最大級の謝罪を発するときの表情をしている。どんな問題が持ち出されるのか、どきどきしながら聞いていたが、「本日は飛行機の出発が遅れまして大変申し訳ありません」と言う。もちろん、この客室乗務員には何の落ち度もないので責めない。すると、続けて「この席は非常口の近くですので万一の際にはご協力をお願いします」とのこと。それも座席を指定したときに承諾済みだ。それに非常口を使うことなんて10年に1回もないじゃないですか。
 
離陸して、Macを取り出してマラソン完走記(そう、この文章だ)を書き始める。走る前に書き始めるのは初めてだ。書きたいことがたくさんある。夢中になって書いていると、着陸の体勢に入るので電子機器の使用はお控えくださいとのアナウンス。Macをしまって本を読んでいると、飛行機はぐらぐらと揺れた。飛行機ではあまり酔わないのだが、今回は気持ち悪くなった。本を読むどころではない。高知に到着すると、やはりバスは待っていてくれた。すぐ出発すると言う。気持ち悪いが乗るしかない。30分ほど揺られて、はりまや橋へ。そこから20分ほど歩いてやっとの思いでホテルに到着する。途中のコンビニでで翌日の朝食を購入しておく。22:00。スタート地点の目の前にあるホテルだ。
 
ホテルで完走記を書いていると、リラックスしたのか急に腹が減ってくる。飛行機酔いもどこかへ消えていた。朝食用の菓子パンとおにぎりを食べてしまう。そして就寝。寝ていて、芍薬甘草湯(痙攣の薬)を忘れてきたことに気づいて、夜中に飛び起きる。もしかすると夢の中でレースのシミュレーションでもしていたのだろうか。起きているときは一瞬もそのことを考えなかったのに、なぜ寝ているときにそんな重要なことを思い出すのだろう。
 
朝、5時に起床。残った1個の菓子パンを平らげ、真っ暗な夜道を通って受付会場に向かう。高知龍馬マラソンは、前日受付だけでなく、レース当日も受付をしてくれるのだ。前日受付しかなかったら出走できなかったかもしれない。ホテルへの帰り道で再びコンビニでサンドイッチを購入する。薬品コーナーで芍薬甘草湯を探すが、もちろんそんなものは売っていない。置いてあるのは、風邪薬と、ユンケルと、コンドームくらいのものだ。いつも痙攣に悩まされるので、非常に不安だが、今あるものでやりくりするしかない。ふくらはぎのサポーターを持ってきたので、装着する。ふくらはぎを揺れにくくするので、痙攣に一定の効果がある(が、速く走れるとは限らない)。
 
8時過ぎに会場に行って着替えや軽食などの荷物を預ける。ここで預けた荷物はゴール地点で受け取ることができる。ついでにスタート地点を確認する。スタート地点ではいろいろな飲み物を配っている。コーヒーをもらって再びホテルへ戻る。何度もトイレに行く。8時40分までホテルで休み、ゆっくりとスタート地点へ。陸連登録済みのため(多分)、Aブロック。ぎりぎりに着いたので、Aブロックも混雑していたが、隙間を抜けてAブロックの中の前の方に移動した。これでロスタイムを最小限に抑えることができる。目標は、防府マラソンのカテゴリー1の資格を取得できるグロスタイム3:15。最低でも5分近く自己ベストを短縮する必要があり、ロスタイムは短くしたい。だいたい1キロ当たり4分35秒が目安だ。
 
前の方からスタートしたためか、スタート直後から周りは人が少ない。向かい風のため誰かを風よけにしつつペースを安定させたいが、都合良く同じくらいのスピードで走っているランナーはいない。後ろから来るランナーはびゅんびゅんと僕のことを抜いていく。一人できつくないペースを探りながら走る。1km通過が4’30”。よしよしと思っていると次の1kmが4'20"。速すぎる。ペースを落とす。でも、うまく落とせず、次からのラップも4'25"、4'22"となってしまう。橋を渡り、下りで遠くを見通すと、前方に女子ランナーが二人。ゼッケンは606と609。女子の陸連登録者は601から始まるため、二人ともトップ10の実力者だ(実際、二人とも10位以内に入った)。後ろに付いてペースを落ち着かせる。4kmから5kmが4'29"、次の1kmが4'30"と良いペースになる。それでも最初の5kmは22'06"と速くなってしまった。
 
しばらく、606と609は並んで走っていたので仲間同士なのかと思っていた。やや後方を走っていた606は、大胆な配色のTシャツを着て、帽子をかぶっている。ちょっとぽっちゃりめ。606の後ろでペースを守りじっとしている。前のランナーの後ろにぴったりとくっつき、お尻の辺りを見ながら走る(変態ですね)。これはマラソン完走クラブで常に言われている集団走だ。風除けになるだけでなく、疲れが溜まりにくいのだ。多分、自分でペースを作るのは、余計なエネルギーを使うからなのだろうと思う。「トップ集団では周りのランナーはライバルですが、それ以外の人にとって、周りのランナーは一緒に記録を目指す仲間なのです」とマラソン完走クラブの中田コーチは言う。
 
しばらくすると606は遅れ始める。残念だけど、609に付いていく。609はざっくりとした短めのボブカットで、青いワンピースのランニングスカートを着ている。走るのに合わせて髪が揺れると、その奥に小さなイヤリングが見える。帽子は被らずに、白いサングラスをしている。ランニングスカートはとても短いので、ときどき見えそうになる(と言っても、その下にタイツを穿いていますが)。ピンクのアディダスのシューズを履いている。体型はすらりと痩せていて、いかにもランナーという感じだ。背は高くなく、風よけとしての効能は少なそうである。給水を取るのがとてもうまい。全くペースを落とすことなくすっと水を取り、少しだけ口に含んで、カップを捨てる。一連の動作に無駄がない。もたもたしていると、すぐに先に行かれてしまう。
 
6kmを過ぎると上り坂になる。風は一段と強くなり、下を向いていないと帽子を飛ばされそうだ。ペースも落ちてきて、4’35”くらい。4’35”までは許容範囲。これ以上落ちると前に出ないといけない。10kmの通過が44’49”。この5kmは22’43”で理想的なペースになった。女子の方がやっぱり応援は大きい。中には順位を教えてくれる人もいる。5位、これが609の順位だ。高知龍馬マラソンの道中の応援は、全く途切れないというほどではないが、かなり賑やかな方だ。よさこい祭りで使う、鳴子という打楽器を打ち鳴らす応援が一番多い。中には、この鳴子を一斉に鳴らしてくれる集団もいる。おばあさんが、「ソチよりコッチ」と応援してくれる。いいね!
 
10kmを過ぎると、609が疲れているのではないかと感じるようになった。給水ではスポーツドリンクと水を両方取っていた。小さなアップダウンでもペースが変動するようになった。仕方なく前に出ようとじりじりと横に並びかける。白いサングラスの奥の表情は読み取れない。だが、このコースを走り抜けるという強固な意志を持ったまなざしが、いくぶん後退したように感じられた。僕がほんのわずか前に出ると、609は急にペースアップした。前を行ってくれるのはありがたいので、再び後ろに付く。しかし、12km地点の大きな坂で失速してしまった。609を置いて前に出て行く。
 
12kmを過ぎると下り坂、風も追い風になり、走りやすくなる。ペースは4'20"台の前半。体も暖まってくる。14kmを越える。蛸の森トンネルが見えてくると、再びコースは上り坂になる。それもかなり急な登り坂だ。まだきついという感じはない。ペースは4'45"にダウン。10-15kmは22'28”。
 
しばらくは平坦な道が続き、その後、緩やかな登り坂に変わる。のどかな田園風景が広がる。18kmくらいで空腹になってくる。ポケットには2本のアミノバイタルゼリーが入っている。ハーフ過ぎの21kmちょっとの地点と、残り10kmの32km地点で飲もうと決めていたが、腹が減る前に飲んだ方がいいだろうと、1本飲んだ。19kmを過ぎると遠くに浦戸大橋が見える。このまま緩やかに登って、そのまま橋を渡ってしまえればいいのだけれど、と思う。もちろんそんなにうまくはいかない。
 
15-20kmは22'25"。落ち着いたペースを維持。女子4位を見つける。4位はゼッケン603。やっぱり小柄なランナーだ。うれしくなって頑張って追いつくが、後ろに付かせてもらうにはペースが遅すぎた。さっと追い抜く。
 
20kmを過ぎると下り坂に入る。浦戸大橋が近づくのに、せっかく蓄えた位置エネルギーを失っていくのは切ない。一方、ペースはアップ。4'20"前後になる。浦戸大橋がその全貌を見せる。これはもう、坂ではなく、山だ。高さは50mある。クイーンエリザベス2世号が通れるように設計したのかもしれないが、そんな大型客船は高知には来ない。10年に1度だって来ない(来るかもしれないけれど)。さあ登るぞ、と気合いを入れて登り始める。しかし、ここで頑張りすぎると後がつらくなるのは分かっているので、さじ加減が難しい。頂上が見えてくる頃にはやはりきつい。一方、50mの高さから見る浦戸湾はすごい景色だ。マラソン大会でここまでの絶景は見たことがない気がする。でかい橋だが、道路はそのサイズに見合わず狭く、片側1車線ずつに、申し訳程度の歩道が付いている。なので両側に寄って、太平洋側、浦戸湾側の両方の景色を堪能する。こんな橋の上にも、応援の人が来ている。沿道の人たちに、登りきったぞおお、と宣言して下りに向かう。下りだって、こんな中間地点で飛ばしてしまうと、後半の足がなくなってしまう。芍薬甘草湯がないので、足が攣ったら終わりだ。慎重に、歩幅を狭めながらちまちまと降りていく。橋が終わった後もずっと下りが続く。ヘアピンカーブがある。左に曲がれば、桂浜の龍馬記念館があるはずだ。これが龍馬が見た景色なんだと思うと心が熱くなる。
 
ほどなく25km地点に到着。左側には、雲一つない青空のもと、太平洋が広がる。道路はどこまでもまっすぐで、平坦。風は追い風で、暖かい日差しを受けながら走る。これ以上のコンディションはないんじゃないかと思える。疲れもそれほど感じない。自然と、少しずつペースも上がっていく。ずっとキロ4分半を上回るペースを続けているので、もしかしたら3時間10分で走れてしまうのではないかと思う。25キロでゆずゼリーをもらう。ひとくち食べる。ゆずの香りがアクセントになってとてもおいしい。沿道から、「お兄さん、食べるの上手」と褒められる。褒められたら捨てられませんね。残りを口に入れて完食する。水分と栄養を補給できて元気をもらう。32kmまではすべてが順調だった。目の前のランナーを一人ずつ順番に抜いていくだけ。目の前の景色に飽きれば、左を向いて坂本龍馬が夢見た広大な太平洋に思いを馳せる。
 
29.5kmくらいだろうか、反対車線を数人の力ないランナーが通過していく。最初、ゴールしたランナーがダウンジョグしているのかと思った。でもまだ2時間そこそこで、ゴールするには早すぎる。30km地点に着いたときに、ちょうど反対車線に35kmの標識があることに気づく。みんな、失速していたのだ。その後にすれ違うランナーも、失速している人が多い。つくばマラソンとはだいぶ様子が違う。25-30kmを22'18"で通過。ペースが上がっているが、これはこの区間にそれまでのようなアップダウンがなく、追い風になっているから。ほとんどイーブンペースを維持。32kmを過ぎる。32.5kmに折り返しがあることは分かっている。遠くに急な上り坂が見える。その手前に折り返しがありますように、と祈ったが、登り切ったところが折り返し。恨むような気持ちで登っていく。折り返しの直後は一転して下りだが、それを過ぎると、逆風が待っている。
 
坂道で奪われた体力を回復できないまま、向かい風を突き進む。残り10kmを切ったので、2本目のアミノバイタルを飲む。ポケットが空になる。余計な荷物がなくなってすっきり走りやすくなったが、もうあとはエイドと二本の足だけが頼りだ。
 
僕も含めて、周りのランナーはみんな失速しているように見える。少し失速するか、大きく失速するか、そのどちらかである。僕は幸運にも「少し」で済んだ。周りのランナーはまばらで、風よけにできそうなランナーが見当たらない。追いつけるランナーはみんな、大きく失速しているのだ。後ろから来る元気なランナーもいない。この逆風の中、36km地点まで耐える。30-35kmは23'08"。少し失速している。36kmで田舎道に入る。海はもう見えない。面白くない景色だ。風は相変わらず向かい風で、さらにペースが落ちる。残り5kmを通過する。それまで4分半を目指して走ってきたのに、キロ5分で走ると25分だから、、、なんて計算をしている。弱気になる。風のせいで腹が 冷えて、力が入らなくなる。左側に気持ち良さそうな清流が流れている。それだけが記憶に残っている。前方にゼッケン101を発見。自己ベスト2:12という高知県出身の招待選手だ。俄然勇気が出て、声をかけて抜いて行く。
 
四つ角にさしかかる。ゴールは直進方向だけど、距離の調節のために一旦左に折れて林道に入る。風は弱まるから悪いことばかりじゃないのだけれど、暗くて寒い林道なんか走りたくない。一段と気分も滅入る。この先に待ち構える登り坂のことを考えると暗い気持ちになる。走ってはいるが、スピードを上げようとか、頑張ろうとか、そういう前向きな気持ちは全く起きない。ランナーズアップデートで、誰かが失速を指摘するかもしれないが、全く気にならなかった。罵倒したければ罵倒すればいい(実際その通りだった!)。
 
折り返しを過ぎ、40km地点を通過する。35-40kmのラップは23’52”。残り少しになってもちっとも元気にはならない。まだ坂道が残っているのだ。元の四つ角まで戻り、左に折れると、スタジアムが見える。まるで天空の城ラピュタのように空高くそびえている。どうしてそんなところに競技場を作るんだ。もっと整地して低い場所に作れよ、と思った。もう一人の自分が、低い場所は農地や住宅に使われているので、後からできる文化施設は高い場所にできるんだよ、とそっと教えた。そんなこと分かってる、うるさい。怒りは湧いてくるが、鳴門の渦潮のようにぐるぐる廻るだけで、スピードには結びついてくれない。41kmを過ぎて、左に曲がるといよいよ坂道だ。きついが、皆きついのだ。目の前にいる黄色いシャツのランナーを捕まえることに専念する。さらに前のランナーははるか先にいるので追いつくのは難しいだろう。ちょっとずつちょっとずつ差を詰め、横に並ぶ。前に出る。突然、黄色シャツがラストスパートをする。5m、10mとどんどん差が開く。悔しいが付いていけない。しかし、このランナーだけを見ていたら、その前にいたランナーに追いついた。一人躱す。
 
スタジアムの照明だけが見える。昼間なのでライトは点いていない。その高さから想像するとそろそろ登り切って、スタジアムに入るはずだ。いや、入るはずだった。でも、コースはスタジアムを通り過ぎて、もっと上を目指している。ずっとゴールだと思って見ていたものは野球場だったのだ。陸上競技場はその上にあった。ため息をつきながら登る。陸上競技場への入り口は更に急坂になっていて、ジョグのようなスピードになってしまう。でも上りは唐突に終わった。トラックへ。トラックに入った瞬間、水を得た魚のように元気になる。別のランナーが目の前を走っている。外から一気に抜き去る。42kmの標識。グロスで3時間12分台でいけるかもしれない。黄色シャツ はもう50mは前に行っていた。抜きに行く相手はいないので、大したスピードは出ない。僅かだがラストスパートをする。目の前にゴールテープが現れる。そこを駆け抜けるのだ。ふわりと包まれて、宙に浮いているのではないかと思った。練習をして、納得のいくレースをして、ゴールテープを切る瞬間。これは生涯忘れないと思う。
 
タオルをかけてもらい、記録証をもらう。4679人中、135位。上位3%。こんな順位、見たことがない。涙が出た(なんだか泣いてばかりだ)。タオルで顔を覆う。ボランティアスタッフの女性がどうでしたか、と声をかけてくれる。知り合いでもないのに、自己ベストを7分も更新したと自慢する。それはすごいですねと褒めてくれる。優しい人だ。
 
せっかくなので競技場を見学する。続々とランナーが入ってくる。シューズを履き替えようとするが、攣りそうになってうまくいかない。次に話しかけてきた女性は、着替える場所分かりますか、と聞いてくる。もちろん分からない。そう言うと、親切に更衣室まで案内してくれた。ついでにシャトルバス乗り場はどこですか、と聞いたら、知らない、という。一緒に探してくれる。やはり優しい。
 
着替えをして(ユニクロのフリースを羽織ったくらいだが)、バス乗り場に行く。バス乗り場から、続々とランナーが歩いてくる。なんでこんなに、と思ってスタッフに聞くと、棄権したランナーらしい。でもみな元気そうだ。まだ3時間半くらいしか経っていないので、棄権するには早すぎるんじゃないか。もうちょっと頑張れと言いたいところだが、棄権も一つの選択だ。僕がどうこう言える立場ではない。県庁行きのバスの中でアミノ酸プロテインを補給。飲み過ぎで腹が緩くなる。
 
今回、最も空腹を感じたのは、18km地点だ。その後はこまめに給食を摂ったこともあり、最後まで空腹とは無縁で走ることができた。様々な給食、給水があったのも、高知龍馬マラソンの特徴だ。上で書いたゆずゼリーの他にも、バナナ、キュウリ、ミカン、トマトジュースをもらった。キュウリは、漬け物になっていて塩分が摂れれば良かったのだけど、残念ながら生だった。単にあごの疲労をもたらした。ミカンはとても甘かった。皮をむいて、すぐ食べられる状態にしておいてくれた。すごく元気になれたので、ミカンは2回いただいた。バナナは、好きではないけれど、カリウムが摂れて痙攣防止に効くというので食べた。トマトジュースはマラソン大会では初めてみた。そんなもの服にべっとり付いたらホラー映画じゃないですか。慎重にこぼさないようにゆっくりと飲み干す。塩分が効いていて美味しかった。
 
県庁でシャトルバスを降りると、ひどく寒い。ランシャツの上にフリース一枚だから当然だ。数百m先のホテルが遠く感じる。ホテルで荷物を受け取り、シャツやズボンを着る。なんだか、やっと普段の生活に戻った感じがする。しばらく休んで、空港に向かう。
 
バス停まで20分。余裕を持ってホテルを出たはずがぎりぎりになってしまい、走ってバス停へ。去年の別府大分マラソンを思い出す。あのときもバス停まで走った。ぎりぎりで乗れない。座り込んでいると、歳を取った係員がやってきて、どちらへ行かれますか、と聞いてくる。空港と伝えると、バス停が違うという。ぎりぎりで乗れなくてよかった。指定された反対側のバス停に向かう。となりのローソンに入る。普段なら、迷わずビールだけど、あまり飲む気がしないので、コーヒーとチョコレート。バスはすぐに来た。しばらくはマラソンコースと同じ道を走る。青いピンが立っているボーリング場の前を通る。よく覚えている景色だ。
 
空港に着くと、予約した飛行機は10分くらい遅れているとのこと。チェックインを済ませ、土産物を買っていると、1時間遅れに変わった。高知の郷土料理を出す店があるので、行こうか迷う。ビールとつまみ6種類で1980円。でも、なんとなくビールを飲みたいという感情が希薄なのだ。結局入るのはやめて、搭乗口で待つ。売店で焼き鯖寿司とビールを買って、一番端のベンチでちびちびと飲む。ビールは、完走した記念のようなものだが、予想したとおり感動するほどのうまさではない。味覚が変わったのだろうか。疲れていて肝臓が機能していないのだろうか。缶ビール1本で酔っ払い、ベンチでうとうとする。ほどなく搭乗開始され、飛行機に乗り込む。このとき見えた夕陽がとりわけきれいだった。太陽も祝福してくれた。
 
家に帰ると、雪の中大変だったね、といろいろな方に言っていただいた。しかし実際のところ、雪で苦労したことはあまりなかった。空港の窓からずっと雪を見ていたかった。これで酒があれば何時間でもいられるなと思った。そして、一便だけでも飛ばしてくれたJALに感謝したい。欠航になっていたら、自己ベストはなかったのだから。
 
高知龍馬マラソンは、1日がかりで行く価値のあるマラソン大会だった。東京マラソンのような派手なエキスポも、紙吹雪などの演出もない。芸能人を走らせてバラエティ番組に仕立てるテレビ局もない。でも、市長が自慢する手作りのおもてなしにあふれていた。持っているものを全て差し出してくれた。それを黙って受け取るだけで良い。きつい坂の上には、雄大な景色が広がった。空腹の先には、香りの良いゆずゼリーがあった。疲労の奥で、よさこい鳴子が心を打った。そして、競技場にはゴールテープの感触があった。ゴール後はボランティアが話しかけてくれた。五感でそのすべてを味わい、そして吸収した。一つ一つに、主催者の思いが詰まっていた。素敵な体験だった。
 
わざわざ高知に行ってよかった。
 
4’30” 4’20” 4’25” 4’22” 4’29” (5km 22’06”)
4’30” 4’35” 4’32” 4’38” 4’28” (10km 44’49” 22’43”)
4’31” 4’24” 4’24” 4’24” 4’45” (15km 1:07’17” 22’28”)
4’22” 4’31” 4’34” 4’29” 4’29” (20km 1:29’42” 22’25”)
4’23” 4’19” 4’52” 4’26” 4’27” (25km 1:52’09” 22’27”)
4’31” 4’27” 4’29” 4’23” 4’28” (30km 2:14’27” 22’18”)
4’22” 4’34” 4’43” 4’38” 4’51” (35km 2:37’35” 23’08”)
4’44” 4’37” 4’42” 4’50” 5’00” (40km 3:01’28” 23’53”)
4’58” 5’24” 0’52” (42.195km 3:12’42” 11’14")